川上志向社会と共同無責任 ─ 映像制作現場に見る現代日本の構造課題
- Tomizo Jinno

- 11月22日
- 読了時間: 5分
更新日:11月23日
「共同無責任」社会のゆるやかな進行
発注者としてIT企業などと取引をすると、最初は営業担当者が窓口として対応してくれます。しかし契約が成立した途端、「担当はチームになります」と案内され、以後のコミュニケーションは複数名体制に移行します。とはいえ、個々の名前や役割は開示されず、誰が何を担当しているのか不明なままです。問い合わせをしても返答が遅れたり、担当の所在が曖昧なまま時間だけが過ぎていく。こうした状況は珍しいことではありません。
メールへの複数人のCCや、共有フォルダによる情報管理が一般化したのは、「チーム対応」への過渡期の象徴でした。役職者がすべてのやり取りを確認しているかといえば、実際にはそうではない。形式上の共有によって、責任は分散し、所在は希薄になっていく。「共同で対応する」は、「共同で責任を負わない」構造にもなり得ます。これが私たちの社会に静かに浸透している「共同無責任」の姿です。
川上に位置する人々のコミュニケーション行動
私的なメールやSNS上での振る舞いを見ると、その人の社会的立場が垣間見えることがあります。大学教授、医師、大企業の管理職、あるいは人気クリエイターなど、いわゆる「社会の川上」に位置する人々に共通しているのは、返信が遅い、あるいは返信がないという行動です。それでも非難されることは少なく、それが当然のこととして受け入れられています。
川上にいるとは、「責任の所在を曖昧にできる位置にいる」ことでもあります。返信しなくても致命的な問題にはならず、判断を保留する自由さえ許されている。その自由は、川下で働く人々にはほとんど与えられていません。
川上を目指す人の増殖
IT企業の採用動画に関わっていると、転職者がこう語るのをよく耳にします。
「川上に来られてよかった」
この言葉は、単に待遇や企業規模の話ではなく、「責任の発信源側に移った」という意味を含んでいます。情報システム、建設、広告など、多重下請け構造が存在する業界では、川下の人々は、要件の曖昧さや仕様の矛盾に悩まされることが多い。問題点を指摘しても返答は遅く、意思決定は不透明。こうした不具合の多くは、川上に位置する人が回答や責任を回避しやすい構造によって生じています。
川上に行けば、「答えを出さなくても許される」。それは、一部の人々にとって魅力的な安息の地でもあります。
なぜ人はコミュニケーションを避けるのか
本来、コミュニケーションは「対話」「調整」「責任」を伴います。相手の状況を想像し、言葉を選び、説明し、時には謝罪も必要になる。時間と労力を要し、心理的負荷も大きい。この負荷が、現代社会におけるストレスの大きな源になっています。
だからこそ、人々はコミュニケーションを避ける構造へと向かう。メールの返信を先送りし、解釈可能な文章を投げかけて、判断を他者に委ねる。チーム対応という名の下に温度の低い回答を送り、責任の所在をぼかす。そこには、意図的ではないにせよ、「共同無責任」への傾斜が生まれています。
マネジメントとは「なんとかすること」
プロジェクトの現場では、最終的に「なんとかする人」がいます。日本語でマネジメントとは、極論すれば「何とかする」ことです。関係者が多くても、実際に意思決定し、調整し、動かしているのはごく少数。その少数の人だけが川の流れを止めず、流通を維持している。
しかし社会全体が「川上志向」に傾くと、「なんとかする人」が減っていく。判断したくない人、返信しない人、共有フォルダに保存するだけの人、会議に参加するだけの人。生産や創造から距離を置く人が増えるほど、社会全体の生産性は下がっていく。これが、GDPも給料も伸びない理由のひとつではないかと思います。
責任を分け合うコミュニケーションへ
社会の川上にも川下にも、役割は存在します。責任を避けるために川上を目指すのではなく、役割に応じて適切に責任を分担できる社会が望ましいのではないでしょうか。
コミュニケーションから完全には逃げられません。むしろ、コミュニケーションこそが意思決定と信頼をつくり、生産性を高める基盤です。責任を背負うことは、自由度を失うことではなく、信用を得る行為でもあります。
映像制作の現場もまた、川の流れの中にある
映像制作も構造は同じです。最上流はクライアント、その下に代理店や制作会社、さらにその下に外注先やフリーランスのスタッフが続きます。プロデューサーやディレクターは制作会社の中では川上に近い位置で「なんとかする」役割を担いますが、そこに過度の集中が起きると、全体の生産性は一気に下がります。労働生産性が低いとされる理由のひとつは、この構造的な負担の偏りにあります。
そして、この業界でも、川上への移動を望んで一般企業の広告宣伝部や広報部へ転職する人がいます。経験と責任を携えて川上に移るのであれば歓迎すべきですが、責任から距離を置くための転身であれば、その後のコミュニケーションはさらに難しくなることがあります。
おわりに
「共同で進める」は、「共同で責任を持てる」ことと同時に、「責任を誰も持たない」構造にもなり得ます。社会の川上を目指すことが目的になるのではなく、どの位置にいても責任とコミュニケーションから逃げない姿勢が、社会の生産性を高める一歩になるのではないでしょうか。

【執筆者プロフィール】
株式会社SynApps 代表取締役/プロデューサー。名古屋を中心に、地域企業や団体のBtoB分野の映像制作を専門とする。プロデューサー/シナリオライターとして35年、ディレクター/エディターとして20年の実績を持つ。(2025年11月現在)




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