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生成AIは「良質な普通」をつくりますか

NHK ドラマ10「しあわせは食べて寝て待て」第3話(令和7年4月15日放送)で、主人公(さとこ:桜井ユキさん)の勤めるデザイン事務所の社長(唐:福士誠治さん)が、慰安旅行先の温泉旅館での夕食の折に、スランプに陥っているスタッフ(デザイナー)に掛けた言葉です。


「良質な普通に勝るものなし」


良質な普通に勝るものなし

この言葉を気に留めた人が大勢いたようです。私もそのひとりです。

同じクリエイティブを仕事にする者として、とくに名古屋という地味なローカルで、長年映像制作に関わり、自分なりに「普通にちゃんとしたもの」をつくってきたつもりの身としては、安堵の思いがする一文です。

ただ、「普通」とか「良質」という定義が、人によって大きく違うだろうとは思います。

私は映像制作業界の中でも、主に企業PR映像制作をビジネスにする者として、普通と良質を以下のように考えています。


普通とは

・映像づくりに関する様々な技能が、一般の人とは一線を画したレベルにある

・クライアントが言っていること以上のことを理解できる

・求められることを具現化する方法(創作物)を提案、制作できる


良質とは

・創作物によってクライアントが成果を得る

・取組から成果に至るまでのプロセスを倫理観と責任をもってあたることができる




生成AIのアウトプットが「普通」である側面



既存のデータの組み合わせ


生成AIは、学習した既存のデータに基づいて新しいものを生成します。そのため、そのアウトプットは、どうしても過去のデータの傾向やパターンに強く影響を受けます。斬新なアイデアや、既存の枠組みを大きく超えるような、真に独創的な表現を生み出すことは、現時点ではまだ難しいと言えるでしょう。



感情や意図の深さの欠如


人間のクリエイティブは、個人的な経験、感情、思想、社会的な背景などが絡んで生まれます。生成AIは、これらの深層にある動機や意図を理解し、それを反映したアウトプットを生み出すことはできません。そのため、表面的な完成度は高くても、深みや共感を呼ぶ力が弱い場合があります。



文脈理解の限界


生成AIは、個々の要素の関連性は捉えられても、より広範な文脈や意図を完全に理解することは難しい場合があります。そのため、状況によっては不自然な表現や、意図とずれたアウトプットが生じることもあります。



驚きや感動の欠如


人間のクリエイティブには、予期せぬ発想や、常識を覆すような斬新さがあり、私たちに驚きや深い感動を与えることがあります。生成AIのアウトプットは、多くの場合、予測可能な範囲に収まっており、このような強烈な印象を与えることは稀です。




生成AIは「普通」?


一般的な意味の普通であれば、すっかりクリアしていると言えます。まさに凡庸です。

しかし、この問いに関して私は「No」と思います。

職業クリエーターである私が考える普通の条件「クライアントが言っていること以上のことを理解できる」が満たせないからです。つまり生成AIは職業クリエーターとしては失格です。



生成AIは「良質」?


一般社会では大きな問題にならない「模倣」も、ビジネスにおいては法律的な問題を超えて、倫理的な社会問題をひきおこします。さらには社会全体における「創作」への期待や敬意に重大な障害を招く可能性があり、その取り組みにおいて社会的存在としての企業の倫理観が問われます。



結論


生成AIは、極めて普通で良質っぽいアウトプットをしてくれますが、職業クリエーターの代わりはできないということになります。

ただし「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉があるように、生成AIがアウトプットしたものを区別できない人が増えると、職業クリエーター自体が無用な時代が来ることでしょう。特に「良質な普通」をつくる職は無くなります。



その先の未来

職業倫理の崩壊と社会秩序の不安定化


これまで、職業人は技能を習得する過程で、その分野特有の専門知識や技術だけでなく、責任感、協調性、顧客や同僚との信頼関係といった職業倫理を自然と身につけてきました。

職人の世界であれば、師匠からの厳しい指導や長年の経験を通じて、手抜きをしないこと、品質に責任を持つこと、先人の知恵を尊重することなどが体得されます。医師であれば、患者の生命と尊厳を守るという強い倫理観が、医学の知識や技術と並行して養成されます。


生成AIを利用する人々は、これらの技能習得のプロセスを経験していません。そのため、アウトプットの質に対する責任感の希薄さ、他者の成果物に対する敬意の欠如、倫理的なジレンマに対する無理解などが生じます。


倫理観が欠如したままアウトプットが量産されるようになれば、社会全体の信頼性が損なわれ、プロフェッショナルとしての責任の所在が曖昧になり、社会秩序が不安定化する恐れがあります。このことは決してクリエイティブ業界に限ったことではなく、すべての職業領域、社会領域で進行するであろう未来です。

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