欲望取引の時代の映像制作者の使命
- 神野富三

- 2025年4月18日
- 読了時間: 13分
更新日:2025年12月10日
インターネット社会の驚異的な浸透は、単に情報伝達の速度と範囲を拡大しただけでなく、人間の社会構造、コミュニケーション様式、そして根源的な欲望のあり方そのものを根底から変えつつあります。
資本主義経済に、従来の貨幣価値経済という枠組みを超え、人間の承認欲求、共感、好奇心、優越感、さらには憎悪や支配欲といった、よりプリミティブな感情や欲求が、直接的に取引され、価値を生み出す新たな経済圏が出現したです。この「欲望取引」とも呼べる事態は、前例のない利便性と可能性をもたらす一方で、深刻な倫理的、社会的な課題を私たちに突きつけています。
中でも映像制作会社が制作する映像コンテンツは、そうした課題に大きな影響を与えていることから、この問題をよく理解して、社会に奉仕する存在としての価値を高める必要があります。

インターネット以前 - 貨幣価値を媒介とした欲望の充足
産業革命以降、資本主義経済が世界を席巻する中で、人間の欲望は主に貨幣という共通の価値尺度を介して充足されてきました。人々は労働によって貨幣を獲得し、その貨幣を対価として商品やサービスを手に入れることで、食欲、所有欲、快適さへの欲求などを満たしてきたのです。このシステムは、効率的な資源配分と経済成長を促進する一方で、労働と消費という行為を介在させることで、人間の欲望と充足感の間に一定の距離を置いてきました。
その中で広告は、貨幣価値を介した欲望の充足を加速させる重要な役割を担ってきました。企業は、製品やサービスを通じて人々の潜在的な欲求を顕在化させ、購買意欲を刺激することで利益を追求しました。メディアは、その広告を人々に届け、消費文化を醸成する役割を果たしました。しかし、この段階においては、欲望の取引はあくまでも有形の商品やサービス、あるいは明確な対価を伴う情報提供などに限定されており、人間の内面的な感情や欲求そのものが直接的な取引の対象となることは稀でした。
インターネットの出現 - 貨幣価値の相対化と直接的な欲望の顕在化
1990年代以降のインターネットの普及は、この状況に革命的な変化をもたらしました。地理的な制約を瞬時に克服し、世界中の人々が双方向かつリアルタイムに接続できるようになったことで、情報伝達のあり方が劇的に変化しただけでなく、人間関係、コミュニケーション、そして価値観の形成プロセスそのものが変容を遂げたのです。
特に、2000年代以降に登場したソーシャルメディア(SNS)は、この変化を加速させる触媒となりました。SNSは、個人がテキスト、画像、動画などのコンテンツを容易に発信し、他者と共有することを可能にし、それに対する「いいね」「コメント」「シェア」といった反応を通じて、直接的な承認欲求の充足を促しました。この時、取引されているのは、必ずしも有形の商品やサービスではなく、個人の感情、意見、経験、あるいは他者の注目という、より抽象的で非貨幣的な価値だったと言えます。
SNSの仕組み - 欲望取引を加速するメカニズム
有名な者が有利であり、対して匿名で賛同を寄せることができるるSNSの仕組みは、人間の根源的な欲望、特に承認欲求と共感欲求を巧妙に刺激し、増幅させます。
承認欲求の可視化と競争
投稿に対する「いいね」やフォロワー数は、他者からの承認を数値化したものであり、ユーザーはこれらの数を増やすことに無意識のうちに駆り立てられます。これは、貨幣経済における収入や地位への欲求と類似の構造を持ちますが、より直接的で即時的なフィードバックループを生み出します。ユーザーは、他者の注目を集めるために、自己開示を積極的に行い、時には過激な言動や虚飾された自己演出に走ることもあります。
共感と連帯の擬似的な体験
SNSは、共通の興味や価値観を持つ人々が集まるコミュニティを形成しやすく、ユーザーはそこで共感や連帯感を容易に得ることができます。これは、所属欲求や社会的なつながりを求める人間の根源的な欲求を満たす一方で、排他的な「内集団」意識を強化し、異なる意見や視点を持つ他者への排斥を生む可能性も孕んでいます。
好奇心と情報過多の渦
インターネットは、あらゆる情報へのアクセスを容易にし、ユーザーの好奇心を刺激します。しかし、その情報量の膨大さは、情報の真偽を見極める能力を超過し、誤情報や陰謀論の拡散、あるいは無益な情報への過剰な没入といった問題を引き起こします。
比較と優越感の誘発
SNSは、他者の華やかなライフスタイルや成功体験を可視化し、ユーザーに絶え間ない比較を強います。これは、向上心や目標設定の動機となる一方で、劣等感や嫉妬心を生み出し、精神的なwell-beingを損なう可能性があります。また、他者を批判したり、優位性を示すことで、一時的な優越感を得ようとする行動も散見されます。
これらのSNSの仕組みは、貨幣価値を直接的な媒介とせずとも、人間の内面的な欲望が直接的に取引され、価値を生み出す新たな経済圏を形成していると言えます。インフルエンサーは、フォロワーの注目や共感という「無形資産」を基盤に、企業からの広告収入や商品販売などの形で貨幣を獲得します。ユーザーは、自身の投稿に対する「いいね」やコメントという「承認」を対価に、自己表現や他者との関係性を深めようとします。
欲望取引がもたらす現代の課題
貨幣価値を超えた人間の欲望そのものが取引されるようになった現代社会は、多くの課題に直面しています。
承認経済の歪みと自己肯定感の脆弱化
「いいね」やフォロワー数といった数値化された承認に過度に依存する社会は、自己肯定感の根源を外部に委ねるという脆弱性を生み出します。数値が減少することへの恐怖や不安は、ユーザーを常に他者の目を意識した行動へと駆り立て、本質的な自己理解や内面的な充足感の獲得を妨げます。
感情の搾取と炎上文化の蔓延
人々の感情は、SNS上で容易に増幅され、拡散されます。特に、怒りや悲しみといったネガティブな感情は、強い共感と連帯を生み出しやすく、炎上やオンラインリンチといった形で、特定の個人や集団への攻撃を正当化する土壌となります。これは、人間の負の感情が「注目」という価値と結びつき、増幅される危険な現象と言えるでしょう。
真実の軽視と分断の加速
欲望取引の場においては、真実や客観性よりも、感情的な共鳴や意見の同調が重視される傾向があります。SNSのアルゴリズムは、ユーザーの既存の意見を強化する情報を優先的に表示するため、異なる視点との接触が減少し、社会全体の分断を加速させる可能性があります。
プライバシー侵害と個人情報の搾取
ユーザーの行動履歴、興味関心、人間関係といった個人情報は、欲望取引の重要な「燃料」となります。プラットフォームや企業は、これらの情報を収集・分析し、ターゲティング広告やコンテンツ推薦に活用することで利益を追求します。この過程で、ユーザーのプライバシーが侵害されたり、意図しない情報操作に晒されたりするリスクが高まります。
依存と中毒性の深刻化
SNSの設計は、ユーザーの滞在時間を最大化し、継続的な利用を促すように最適化されています。通知機能や無限スクロールといった仕組みは、ユーザーの自律的な利用を阻害し、依存や中毒といった深刻な問題を引き起こす可能性があります。これは、人間の根源的な好奇心や社会的欲求が、商業的な利益追求のために悪用されていると言えるでしょう。
倫理観の低下とモラルの崩壊
欲望取引が優先されるオンライン空間においては、倫理的な規範や道徳的な価値観が軽視される傾向があります。他者の不幸を嘲笑したり、差別的な言動を繰り返したりする行為が、「注目」を集めるための手段として肯定されるような風潮も一部に見られます。
新たな格差の創出
貨幣経済における格差に加え、インターネット社会においては、「情報格差」「デジタルスキル格差」「インフルエンサー格差」といった新たな形の格差が生まれています。これらの格差は、人々の欲望充足の機会を不平等にし、社会全体の不公平感を増幅させる可能性があります。
欲望取引の未来 - 人間性の再定義と新たな倫理の構築
インターネット社会の浸透と欲望取引の拡大は、現時点で不可逆的な流れであり、元の状態に戻ることはないでしょう。
プラットフォーム運営者や企業は、利益追求だけでなく、倫理的な責任を深く自覚し、ユーザーのwell-beingを最優先に考慮したサービス設計を行う必要があります。アルゴリズムの透明性の向上、有害コンテンツの排除、依存性の低い利用を促す仕組みの導入などが検討されるべきでしょう。
法制度においては、プライバシー保護、データセキュリティ、誤情報拡散の防止など、インターネット社会における新たな倫理規範を確立し、それを実効的に執行するための枠組みを整備する必要があります。国際的な協力体制を構築し、グローバルな課題に共同で取り組むことも不可欠です。メガテックがどれだけ巨大な経済を生んでいようとも、時にはシャットダウン、シャットアウトする決断も必要です。
欲望取引の時代において、私たちは、人間の本質的な価値とは何か、真の幸福とは何かを改めて問い直し、テクノロジーと人間の欲望が調和した、持続可能で人間らしい社会の構築を目指さなければなりません。それは、貨幣価値を超えた、より深いレベルでの人間性の再定義と、新たな倫理の構築を必要とする、かつてない経験です。
映像制作会社に求められる倫理観と映像コンテンツの未来
インターネット社会の深化と欲望取引の拡大は、映像コンテンツの在り方にも決定的な影響を与えています。特に企業PRビデオやブランドコミュニケーションを担う映像制作会社は、人々の感情・欲望・承認行動がかつてないほど即時的に流通し価値化される時代において、新しい倫理の担い手として重要な役割を負っています。制作会社が直面する責任と、これから求められる倫理的視点を整理し、欲望取引時代の映像制作の指針を考えました。
「欲望を操作する映像」から「欲望と健康的に向き合う映像」へ
現代の映像コンテンツは、視聴者の承認欲求・恐怖・優越感・共感といった内的欲望を、極めてダイレクトに刺激する力を持ちます。SNSに最適化されたショート動画、アルゴリズムを意識した強い刺激や誇張表現、炎上を伴う「話題性」などは、その典型です。
企業PR映像においても、
誇大な期待を煽る演出
感情を過剰に揺さぶる編集
データや事実の恣意的な切り取り
社会課題の“感動的消費”化といった誘惑は常に存在します。
しかし欲望取引の歪みが社会課題となっている現在、映像制作会社は「刺激すれば勝ち」という発想から離脱しなければなりません。求められるのは、視聴者の欲望を搾取しない、健康的な距離感を保つ映像表現です。
すなわち、“映像は欲望を操る道具ではなく、欲望と向き合うための媒介であるべき”という倫理観です。
企業の物語を「偽装」せず、「透明性」を演出する姿勢
欲望取引の時代、視聴者はかつて以上に敏感です。過剰演出されたストーリー、表層的なSDGs表現、実態とかけ離れた企業イメージは、瞬時に見破られ、炎上や信用毀損につながります。
映像制作会社が果たすべきは、
企業の強みだけでなく課題も適切に扱う
誇張ではなく丁寧な文脈づくりを行う
外見的な演出より、事実の重心を尊重するといった「誠実な編集」です。
企業の透明性・真正性を守ることは、制作会社のクリエイティブ責任の一部です。映像とは、企業の“別人格”をつくる行為である以上、その人格が虚構であってはなりません。
視聴者の心的安全性を守るコンテンツ設計
欲望取引はしばしば、視聴者の不安・自己否定感・焦燥感を刺激することで成立します。比較を誘発し、劣等感を武器に購買意欲を高める映像手法は広告史の一部ですが、現代ではその副作用が強すぎることが明らかになっています。
映像制作会社には、
心理的負荷を必要以上に高めない
刺激よりも理解を促す編集を採用する
誤解や不安を意図せず生む構造を避ける
マイノリティや弱者の表象に細心の注意を払うといった、人間の精神的ウェルビーイングに対する責任が求められます。
感情を“動かす”ことと“扇動する”ことは異なります。視聴者の心的安全性を確保することは、これからの映像表現の倫理的基準の一つとなるでしょう。
データ活用と個人情報の倫理的配慮
欲望取引の背景には、ユーザーデータの搾取的利用が存在します。PR映像の配信では、ターゲティング広告や視聴行動の分析が不可欠ですが、制作会社はデータ活用の倫理境界を理解しておく必要があります。
特に重要なのは、
配信戦略としてのターゲティングが差別構造を強化しないか
個人のプライバシーを侵害するメカニズムに加担しないか
ミスリーディングな演出でクリックを誘発していないか
制作会社が責任をもつのは映像作品だけではありません。“誰に、どのように”届けられるかも制作行為の一部であるという意識が求められる時代になりました。
社会と企業の間に位置する「文化的フィルター」としての自覚
映像制作会社は、企業 → 社会社会 → 企業の両方向に働く「文化的フィルター」の役割を果たしています。
制作会社は、
企業の欲望(売りたい・良く見せたい)
視聴者の欲望(承認されたい・安心したい・共感したい)の双方と向き合う立場に立ちます。
だからこそ、一方の欲望をもう一方の犠牲の上に成立させないという倫理基準が不可欠です。
企業の短期的メリットが、視聴者の精神的負荷や社会的分断を引き起こすようであれば、その映像制作は持続可能ではありません。制作会社は、双方の欲望の「翻訳者」として、より調和的な関係を築く役割を担う必要があります。
“社会にとって良い映像”を基準に据えるという覚悟
欲望取引の時代において、映像は単なる表現手法ではなく、社会の価値観を形成し、人々の自己像を変え、行動を左右する力を持つメディアです。だからこそ映像制作会社は、「依頼されたから作る」から「作った結果、社会がどうなるかまで責任を負う」という視点へ移行しなければなりません。
これは理想論ではありません。現実に、倫理観の欠如した映像はSNSで瞬時に批判され、企業の信用を毀損し、制作者の名誉も危うくします。倫理はクリエイティブの敵ではなく、むしろブランド価値を長期的に守る最も強固な基盤です。
おわりに
欲望取引が社会の中心に位置づく現代、映像制作会社は “欲望を扱うプロフェッショナル” として、かつてない倫理的責任を負っています。その役割は、ただ魅力的な映像を作ることではなく、企業と社会の間に健全な関係を築き、欲望の暴走を抑止し、透明で誠実な物語を紡ぐことにあります。
テクノロジーと人間の欲望が複雑に絡み合う時代において、映像制作会社は社会の倫理を支える重要な存在です。いま映像制作者の使命は、“美しく見せる”から“美しく生きる社会をつくる”ことへと変化しています。
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【執筆者プロフィール】
株式会社SynApps 代表取締役/プロデューサー。名古屋を中心に、地域企業や団体のBtoB分野の映像制作を専門とする。プロデューサー/シナリオライターとして35年、ディレクター/エディターとして20年の実績を持つ。(2025年12月現在)








