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「世界観」という言葉を映像プロデューサーが使わない訳

企業映像の制作現場では、修正のやり取りの中で、「それを入れると世界観が崩れます」

という言葉が交わされることがあります。

この言葉を口にするのは、多くの場合ディレクターです。プロデューサーである私はこの言葉が出てくる瞬間、その背景にある感覚をよく理解しています。ディレクターは、映像の世界観を言葉として扱っているのではありません。日々の演出判断の積み重ねて、世界観を積み上げている立場にいるからです。


ひとつの世界観
これも「世界観


クライアントは「世界観」を壊そうとしていない


まず押さえておきたいのは、クライアントが世界観を壊そうとしているわけではない、という点です。多くの場合、クライアントの修正指示は、


  • 誤解されないだろうか

  • 意図が伝わらないのではないか

  • 社内で説明がつくだろうか


といった、責任ある立場からの不安に基づいています。そこに、演出への敵意や、制作側の判断を軽視する意図はありません。



よくある修正指示①


誠実な語りをしている映像への「分かりやすさ」要求


たとえば、こんな修正指示です。

「全体的にいいのですが、もう少し“分かりやすく”するために、要点をテロップで説明できませんか?」これは、現場で本当によくあります。そして、この感覚自体はごく自然なものです。ただし、この映像が、


  • 説明を極力抑え

  • 語り手の言葉や間、視線によって

  • 視聴者との信頼関係をつくろうとしている


構造だった場合、説明的なテロップを足すことは、単なる補足にはなりません。語り手を信じる構えや、視聴者に委ねていた理解の余白が、一気に失われる可能性があります。

制作側が感じる「世界観が崩れる」という違和感は、見た目の問題ではなく、この映像が、どのような態度で語っているのかが変わってしまうことにあります。



よくある修正指示②


編集の相対関係を崩してしまう「このカットだけ暗い」


もうひとつ、非常によくあるのが、次の指示です。

「このカットだけ少し暗いので、もう少し明るいカットに替えてください」この指示も、単体で見ればもっともです。一つのカットとして見たとき、「やや暗い」と感じるのは自然なことです。しかし編集では、そのカットが単独で成立することを求められていない場合があります。そのカットは、


  • 次のカットを相対的に明るく見せるため

  • 視線や感情を一度落とすため

  • 映像のリズムに起伏をつけるため


といった理由から、意図的に抑えた一枚として配置されていることがあります。この場合、そのカットを「より良い明るさのカット」に差し替えると、問題が起きるのは、そのカット自身ではありません。次のカットが思ったほど立ち上がらず、映像全体の起伏が平坦になってしまう。制作側が感じる違和感は、暗い・明るいという評価ではなく、編集によってつくっていた相対関係が崩れることにあります。



ディレクターが守っているのは「雰囲気」ではない


ここで強調しておきたいのは、ディレクターが守ろうとしているのは、雰囲気や好みではない、という点です。


  • 語りの立場

  • 視聴者との距離

  • 情報の出し入れの順序

  • 強調と抑制のバランス


これらは、後から言葉で説明しようとすると長くなるため、現場では「世界観」という一語にまとめられがちです。しかし実際には、非常に構造的で、論理的な判断の集合体です。



プロデューサーの役割は、判断をほどくこと


プロデューサーである私の役割は、ディレクターの判断を否定することではありません。

また、「それは世界観の問題だから」と押し切ることでもありません。ディレクターが積み上げてきた判断を一度引き受け、何が、どのように変わってしまうのかをクライアントと共有できる形にほどいていく。


  • ここを変えると、次のカットが立たなくなる

  • ここで説明を足すと、語りの立場が変わる


そうした説明を重ねることで、クライアントは修正の是非を自分の責任で判断できるようになります。



なぜ私は「世界観」という言葉を慎重に扱うのか


私は、ディレクターが「世界観」を大切にしていることを疑ったことはありません。むしろ、その言葉の裏にある判断を、雑に扱いたくないのです。

「世界観」という便利な言葉にまとめてしまうと、積み上げてきた構造まで、感覚論として受け取られてしまうことがあるのです。少なくともクライアントとの打ち合わせで「世界観」という言葉は慎重に扱うべきだと考えています。



おわりに


映像制作は、感性と論理のどちらか一方で成り立つものではありません。

ディレクターは、世界観をつくる人です。

プロデューサーは、その世界が正しく共有されるよう支える人です。私はプロデューサーとして、その関係を保つために、「世界観」という言葉を慎重に扱っているだけなのだと思います。



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【執筆者プロフィール】

株式会社SynApps 代表取締役/プロデューサー。名古屋を中心に、地域企業や団体のBtoB分野の映像制作を専門とする。プロデューサー/シナリオライターとして35年、ディレクター/エディターとして20年の実績を持つ。

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