「クオリティ」という言葉の正体|企業映像プロデューサーの現場から
- 神野富三

- 2025年12月23日
- 読了時間: 4分
更新日:2025年12月28日
企業映像の試写の場で、クライアントから「クオリティ」という言葉が出てくることがあります。この言葉は便利ですが、曖昧で、そして少し厄介です。なぜなら多くの場合、それは映像の出来栄えそのものを直接指しているわけではないからです。
私の経験では「クオリティが……」という指摘の大半は、「期待していたものと違う」という違和感の表明です。そして、その違和感はほぼ例外なく、制作のかなり前、企画の初期段階に原因があります。

「クオリティが低い」のではなく、意図の変換が一致していない
多くの場合クライアントは、企画打ち合わせの中で、熱意と詳細な言葉で意図を伝えています。
この映像で何を伝えたいのか
どんな立場で語りたいのか
どう見られたいのか
これらは、その場では確かに共有された感覚です。一方で制作側は、その意図を受け取り、構成や演出、手法へと変換していきます。問題は、その変換結果がどのような表現品位として立ち上がるのかを、事前に十分説明しないまま制作が進んでしまうことです。
そして、完成映像を見た瞬間、クライアントはこう感じます。
そういうことは言ったが、こういう“感じ”ではなかった。
しかし、どこがどう違うのかを自分の言葉で説明するのは難しい。その結果として現れるのが、「クオリティ」という言葉です。
なぜ、事前に説明しなかったのか
ここで、制作側の問題に触れないわけにはいきません。プロデューサーは、多くの場合、最初から分かっています。
この予算規模
この制作体制
このスケジュール
であれば、この手法による表現品位は、このあたりまでだろう、ということを。それでも、それを事前に口にすることには、どうしてもためらいが生じます。予算の話を持ち出すと、言い訳に聞こえる。期待値を下げる説明は、営業として不利に感じる。「この条件ではここまでです」と言うことが、夢を壊すように思えてしまう。
結果として、
手法の狙いは説明する
しかし、その限界までは説明しない
という沈黙が生まれます。
予算という「語られない前提」
この沈黙の背景には、予算をめぐる駆け引きがあります。
映像制作の相談では、
まず、やりたいことが語られ
次に、それができそうかが探られ
最後に、予算の話が出てくる
という順序がよくあります。
クライアント側にも、
本当はここまでやりたい
でも、できるだけ抑えたい
という思惑があります。
制作側にも、
ここで制約を強く言えば、案件が流れるかもしれない
まずは期待に応えられそうな顔をしておきたい
という心理が働く。
その結果、予算と表現品位の関係が、曖昧なまま制作が進む。
この段階では、誰も嘘をついていません。ただ、前提条件だけが共有されていません。
その駆け引きの結果が、「クオリティ」になる
完成映像を前にした瞬間、それまで語られてこなかった制約が、初めて映像として露出します。
ここまでしか作れない
ここまでしか表現できない
クライアントはそこで、「思っていたより弱い」と感じる。
しかし、それが予算に起因するものだとは、自分からは言い出しにくい。
結果として、
「クオリティが、少し……」
という言葉に置き換えられる。
これは、表現の問題ではありません。予算について、どこまで本音で合意できていたかの問題です。
「クオリティ」と言われたとき、起きていること
ここで起きているのは、映像の出来が悪い、という話ではありません。
言われなかった前提条件が、後から可視化されているだけです。
この条件では、これ以上は強くならない
この手法は、ここまでしか語れない
それを事前に共有できていなかったために、クライアントは「期待との差」を修正指示として言語化できない。だから、「クオリティ」という言葉に集約されます。
プロデューサーの責任は、ここにある
私は、クライアントが「クオリティ」と言うこと自体を、問題だとは思っていません。
問題なのは、その言葉が出てくるところまで、説明しきれなかった制作側にあります。
プロデューサーの役割は、
・期待を煽ることでも
・最後に帳尻を合わせることでもなく
条件と結果の関係を、事前に翻訳することです。
言いにくいことを含めて、です。
そうしなければ、「クオリティ」という言葉は、何度でも同じ形で現れます。
それは映像の問題ではなく、制作の進め方の問題です。
私は、そう考えています。
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