アプリ通話と映像制作をめぐる「反応」の問題
- Tomizo Jinno

- 10 時間前
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アプリ通話の日常化と「遅延」に対する意識
スマートフォンの普及とともに、日常の会話手段は大きく変化しました。総務省データや民間調査を見ても、日本におけるメッセージングアプリの利用率は80%以上とされ、LINE を中心としたアプリ通話の利用率は年々上昇しています。
ある調査では、通話手段として「スマホの通常音声通話」が55.1%で最多、続いて「アプリ通話(LINE、Messenger など)」が36.5%という結果が出ています※。社会の約三分の一が、定常的にアプリ通話を使っている計算になります。
しかし、その広い普及に対して「アプリ通話は遅延する」という基本的な構造がもたらす影響を深く考ている人は多くありません。一般のコミュニケーション環境では、ほぼ無自覚に受け止められています。しかし映像制作者、とくに演出を担う人間は、「音声の遅延」は許容し難い問題を感じます。
私は映像プロデューサーとして日頃から映像制作を行い、映像と音声の同期にはとても気を配っています。その立場から見えるのは、アプリ通話の遅延が人間の対話スタイルそのものを変質させ、気づかぬうちにコミュニケーションの質を下げているのではないかという懸念です。アプリ通話に潜むこの「見えない問題」を考えます。

オンライン会議経験者は気づいている「遅延」
オンライン会議に慣れている人は、すでにその遅延を体で理解しています。
相手の発話が終わった“ように”感じても、実際には遅延でまだ続いている
こちらが被せるように話すと、相手には「割り込まれた」と聞こえる
一拍置かないと議論がぶつかる
企業研修では、発言を簡潔にする、話の順番を決めるなどの対処法が共有され始めています。つまり、オンライン会議の参加者は、遅延を前提に話し方そのものを適応させているわけです。しかし、アプリ通話ではこの適応が「無意識」に進みます。これが問題です。
アプリ通話に潜む“遅延”の構造とその影響
アプリ通話は、音声を一度デジタルデータに変換し、サーバーを経由して相手に届けます。この仕組みには必ず 0.2〜0.5秒前後の遅延が発生します※。
このわずかな遅延は、人間の「認知」と「感情の読み取り」に大きな影響を与えます。人のコミュニケーションは、言葉そのものよりも、声の反応速度や間の長さといった非言語情報に強く影響されるからです。
アプリ通話では、たった0.2秒のズレでも、相手の表情や相槌のタイミングを「不自然」と認知させ、脳にさまざまな認知負荷を強いているのです。
遅延がもたらす代表的な不自然さ
相槌が遅れて聞こえる
話し手が「反応が薄い」「話を聞いていない」と誤解する
相手の返事が遅く感じる
「嫌なのかな?」「迷っているのかな?」と、感情的な誤解につながる
会話のテンポが悪い
言葉を繰り出すタイミングを掴めず、発話を躊躇する
遅延がもたらす会話の変質:「まとめて話す」スタイルへの適応
会話における「反応のタイミング」は、ひとつの情報要素です。例えば人は相手の反応スピードから「ウケがいいな」とか「賛成できないのかな」という受け止めをします。ところがアプリ通話で会話する人は、遅延によって「途中で相手が介入できない」と知覚するため「反応のタイミング」を情報要素とすることを意図的に排除します。
その具体的行動は、ひとつのトピックスを「まとめて話す」ことに表れます。ひとつの話が長文化し、段落化・スピーチ化していくのです。
現象としては、次の2つの傾向が顕著です。
話が長くなる
相槌やフィードバックを遮断されることで、話し手は「まとめて一気にしゃべる」スタイルに適応します。これは“対話”よりも“スピーチ”に近い形です。
対話による深まりが起きにくくなる
反射的な質問や軽い補足が入りにくく、その結果、対話の持つ「その場で理解を深める機能」が失われます。理解が浅くなり、誤解やすれ違いが蓄積しやすくなります。
電話が苦手という若者の増加原因
近年、若者が「電話が苦手」という統計が数多く報告されています。
それらを報告する記事には、テキストコミュニケーションへの依存が理由であるとの報告が多くありますが、私は若者がいう「電話」とは「アプリ通話」のことであり、遅延が常態化した環境で育った若者が、これを苦手とするのは無理も無いことだと思うに至りました。
「まとめて一気にしゃべる」には、相応の知見と自信が必要だからです。
映像制作者の知見:「反応の不在」への対処法
このアプリ通話で起きる会話の「遅延→反応の欠落 →まとめて話す」という変質は、映像コンテンツがもつ構造的性質と類似しているところがあります。
映像制作は、視聴者からリアルタイムな反応をもらえない「反応の不在」という環境を前提として設計されます。質問をしても答えは返ってこず、相槌もないことが当たり前のコミュニケーションを設計施工する仕事、それが映像制作業です。
ですから、私たちはもともと対話とは全く異なるアプローチを取ってきました。
このシナリオは、視聴者が抱く疑問や共感のタイミングを先回りして織り込んだ「思考経路」の設計図です。そして、この設計図を実現するために、映像や音声の作成・制御といった手段を用います。これは、本来の対話なら得られるはずの「反応」を、制作側があらかじめ先回りしてコンテンツに「まとめて」組み込む作業とも言えます。
反応は視聴した結果として、最後に「わかった」とか「よくわからない」とか、「関係ない」「覚えていない」などさまざまに返ってきますが、返ってこないものが大半です。つまり一方通行道路を行った挙句に目的地にたどり着けづに終わることも多いのが、映像制作業ですが、その成功率を高めるために日夜、人間の思考経路を勉強しています。
しかし、アプリ通話を行う人には、映像クリエーターで無いばかりか、社会経験さえも浅い人たちがたくさんいます。
アプリ通話の遅延がもたらす「反応の欠落」は、話し手が意図せず「相手の反応がない環境」に立たされ、人は無意識に「まとめて話す」(=無自覚なスピーチ化)に適応しようとしますが。しかし無意識のうちに相手の思考経路を予想、しかもリアルタイムに自分の話を「うまくまとめられる」人は多くありません。むしろ稀有かもしれません。
こうした「無自覚な適応」から受けるストレスや「適応の失敗」は、アプリ通話だけでなく「通話」そのものの質を大きく変えている可能性があるのではないでしょうか。
遅延環境に人は適応し、コミュニケーション様式が変わっていく
アプリ通話を使い続けると、遅延に合わせた会話リズムが日常化します。「反応の欠落に慣れる」という習慣は、私たちが対話に求める態度に影響を与えます。
余白や曖昧さへの耐性が下がる
じっくり深める対話を避けがちになる
リズムの合わない相手を「話しづらい」と感じる
つまり、遅延環境に合わせた“新しい会話様式”が育ってしまいます。
「対話」の喪失にる創造・クリエイティブの劣化
対面、あるいはリアルタイム通話では、短い発言と反射的な応答が積み重なり、互いの意見がその場で発展・合体していきます。しかし、アプリ通話の「まとめて話す」スタイルは、対話シーケンスをブロック状にしてしまいます。
その結果、単に「話が長くなる」だけでなく、反射的な補足や意見の統合が起きる機会が奪われ、特にクリエイティブに関する対話ではアイデアが発展しないという本質的な弊害を生み出しています。
映像のプロとして、対話に必須なタイミングとレスポンスの重要性、そしてそれが生み出すアイデアの発展を知っているからこそ、アプリ通話の遅延が人間の認知とコミュニケーションに与える影響は軽視できないのです。
コミュニケーション不全を避けるための、実践的対処法
最後に、私が考える対処法です。
アプリ通話での「まとめて話す」傾向を自覚する
話が長引きやすい構造であることを知るだけで、抑制できます。
オンライン会議では、役割分担と順序制御を行う
司会・進行役がいるだけで遅延の影響は大幅に改善します。
重要な話は通常の音声通話や対面を選択する
遅延ゼロの環境では、相槌や割り込みが機能し、誤解も減ります。
まとめ・遅延は小さなズレだが、会話の形を変えていく
アプリ通話は便利で安価ですが、その裏側には、わずかな遅延が人間の会話様式を変え、深い理解や相互作用を阻害するリスクがあります。
映像制作の現場では、その「反応の不在」への対処法を日常的に設計しています。だからこそ、一般のコミュニケーションにおいても、この遅延を理解し、適切に使い分ける視点を持ってほしいと願います。
アプリ通話も、オンライン会議も、映像コミュニケーションも「反応」をめぐる問題です。
その反応の性質をよく理解して対話の手段を使い分けることが、現代社会での円滑で創造的なコミュニケーションを実現する重要な鍵になります。
【執筆者プロフィール】
株式会社SynApps 代表取締役/プロデューサー。名古屋を中心に、地域企業や団体のBtoB分野の映像制作を専門とする。プロデューサー/シナリオライターとして35年、ディレクター/エディターとして20年の実績を持つ。(2025年12月現在)




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