テレビと異なる動画のプロトコル
- Tomizo Jinno

- 2 日前
- 読了時間: 4分
政策や政治論争をするつもりはありませんが、国際会議や海外要人との会談、重要な場所への訪問など、高市首相のここまでの対人的な服装や振る舞いは、多様な場面でのそれぞれのTPOを最大限に尊重した、いわばプロトコルにとても忠実であることが窺えます。
プロトコルとは人間社会の中で、関係するすべての人たちへの敬意と尊重を表し、翻って自身の信頼性、誠実さ、実務能力の高さを印象付ける大切な要素であることを、改めて認識します。
さて「プロトコル」とは、ひらたく言えば複数の人が関わって物事を進める際の約束事や手順のことを指します。近年はIT用語のように使われることが多いですが、もともとはもっと広い意味を持つ言葉です。
では「映像のプロトコル」とは何か。それは端的に言えば――「こうすれば、視聴者はこう感じる(はず)」という“お約束のことです。
「感じ方なんて人それぞれでは?」と思われるかもしれません。確かに個人差はありますが、映像の世界では多くの人が“そういうふうに受け取る”という共通の思い込みを前提に成り立っています。制作者はそのルールを理解して映像を作り、視聴者もそのルールに従って受け取っているのです。
テレビ番組・TV-CMのプロトコル
価値観と世界観の平均化
テレビはマスメディアです。前提となるのは、同じ時間に、同じ地域の多数の人が一斉に視聴しているという状況。老若男女、富裕層から庶民まで、誰にでも均等に伝わることが求められます。したがって、価値観・世界観・善悪の基準も「平均的」なラインを狙って作り込まれます。
出演者は有名人であること
出演者が有名であればあるほど、伝達率は高まります。逆に、無名の人が発する言葉には説得力が宿りにくい。これはテレビ文化における、暗黙の了解です。
音楽はヒット曲であること
ドラマでもドキュメンタリーでも、ヒット曲を使えばその曲のイメージが映像に自動的に付与されます。既に社会的に共有された感情のコードを借りることで、演出効果が高まり、結果的に視聴率も上がります。
テレビで言うことは「本当」でなければならない
何百万人、何千万人に向けて放送する以上、誤りがあってはならないという大前提があります。「テレビ局の人が調べたのだから本当だ」という信頼構造もまた、テレビ文化の一部でした。

動画のプロトコル
長くテレビしかなかった世代にとって、「動画」と聞けばテレビ番組や映画を思い浮かべるのが自然です。そのため、今でも多くの人が“動画もテレビのようでなければいけない”という先入観を抱いています。
しかし、ネット時代の動画には、テレビとはまったく異なるプロトコルが存在します。
動画はテレビではない
まず捨ててほしいのが、「動画はテレビ番組のようでなければならない」という思い込みです。媒体の性質も、視聴環境も、視聴動機も、根本的に異なります。
ウェブ動画で成果を上げるには、万人受けよりも“誰に刺さるか”を明確にすることが重要です。ターゲットを絞り、個性や独自性を前面に出す。価値観は尖っていてもいいし、出演者が素人でも構いません。むしろその「生っぽさ」や「等身大の語り」が、ネットでは信頼を生みます。

一方で、老若男女の万人受けを狙いたいのであれば、媒体選択を誤ってはいけません。広く浸透させたいなら、テレビというマスメディアに出稿するほうが効果的です。WEBで同じ拡散力を得ようとすれば、結果的にテレビ広告に匹敵する費用が必要になります。
最も避けたい失敗
もっとも残念なのは次のようなケースです。
「テレビCM的な企画を立てたが、低予算のためネット動画として制作・公開した。」

この場合、コンテンツのプロトコル(約束事)がズレています。テレビ向けの設計思想で、WEBの文法を無視してしまう。結果として、再生数は伸びず、制作費 ÷ 再生回数 = “数万円/1再生”という悲劇的な計算結果になりかねません。
まとめ
映像のプロトコルとは、「伝わる文法」です。テレビと動画では、その文法がまったく異なります。だからこそ、制作者も発注者もまずどの文法で作るのかを見極めなければなりません。“テレビ的な正解”をそのままWEBに持ち込むと、たいてい失敗します。
動画時代に求められるのは、「大衆の共感」ではなく、「少数の深い共鳴」なのです。
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【執筆者プロフィール】
株式会社SynApps 代表取締役/プロデューサー。名古屋を中心に、地域企業や団体のBtoB分野の映像制作を専門とする。プロデューサー/シナリオライターとして35年、ディレクター/エディターとして20年の実績を持つ。(2025年10月現在)




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