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PR映像シナリオの極意:情報は提示するが「判断」は視聴者に委ねる

更新日:10月22日

映像は人々に影響を与え、特定のメッセージを啓蒙するための非常に効果的な手段です。その視覚的な力と、時に感情に訴えかける特性は、他のどのメディアよりも深く人々の心に響き、行動変容を促す可能性があります。

しかし、その強力さゆえに、映像には潜在的な危険性も潜んでいます。綿密に構成されたシナリオというストーリーラインと、まるで「エビデンスに基づく真実」であるかのように見せかける映像表現は、時に視聴者を巧妙に誘導し、「信じ込ませる」という倫理的に問題のある行為をも可能にしてしまいます。これには、特定の結論へと追い込むような、ある種の操作性を帯びる危険性があります。



「情報がない」という不安の深層


人生には様々な予期せぬ非常事態や緊急事態が発生します。そうした状況に巻き込まれた人々は、当初、事態の全容も、その詳細な経緯も把握できないため、「情報がない!」という根源的な不安に駆られます。

しかし、時間の経過とともに、周囲の人々からの口コミや、テレビ、インターネットなどのメディアを通じて、多種多様な情報が洪水のように押し寄せ、時には情報過多とさえ感じられるほどになります。

ところが、その渦中にある人々の中には、すでに十分な情報が周囲に提供されているにもかかわらず、それでもなお「情報が欲しい!」と繰り返し訴え続ける人が少なからず存在します。彼らの周辺には客観的に見て、事態を理解し、次の行動を決定するに足る情報がすでに豊富にもたらされているにもかかわらず、「情報がない」と主張し続けるのです。

このような状況下で彼らが本当に求めているのは、情報そのものではなく、情報が多すぎて「自分では判断できない」、あるいは「誰か正しい判断を教えてほしい」という、判断の放棄や依存心の表れではないでしょうか。彼らは情報の不足ではなく、むしろ情報の氾濫に起因する判断の麻痺に陥っているのかもしれません。



啓蒙映像における「判断」の伝え方:結論は視聴者に委ねる


啓蒙を目的とした映像シナリオにおいて、実は「判断」までを明確に言葉にして提示してしまうのは、効果の薄い方法です。なぜなら、視聴者に結論や判断を明示してしまうと、彼らはもはや自分自身で深く考え、判断を下すことをやめてしまうからです。

これは人間心理の普遍的な道理であり、人は自ら導き出した判断には確固たる確信を持ち、自信を持ってその判断に従って行動することができます。しかし、他人から一方的に与えられた判断に対しては、常にどこかに疑念や不安が残り、本当にそれで良いのかという疑問が拭えず、結果として確信に満ちた行動に移ることが難しいものです。


したがって、真に効果的な啓蒙映像のシナリオは、視聴者を理路整然とした情報と論理で追い込みはするものの、最終的な結論、すなわち「判断」はあくまで視聴者自身に委ねる形を取ります。これは決して曖昧にするという意味ではなく、あくまで「形」としてそのように見せるのです。しかし、その根底には、誰がその映像を見ても、同じような結論に至らざるを得ないように、周到な印象操作と論理構成が施されています。視聴者が「これは自分が導き出した結論だ」と感じるように、情報が提示され、物語が展開されることが、啓蒙の成功には不可欠なのです。



自己責任としての「判断」:依存と結果の連鎖


ところで、他人に判断を委ねることに慣れきってしまった人々は、その結果として少しでも不利な状況や不利益が生じた際に、その判断を「押し付けた」と感じる相手を糾弾することで、自らの責任を回避し、その事態に一応の「オチ」をつけようとします。責任の所在を他者に転嫁することで、精神的な安寧を得ようとするかのようです。

しかし、そのような形で責任の所在にオチをつけたところで、状況が改善するわけでも、その人が根本的に救われるわけでもありません。むしろ、そのような人々は、常に他者に判断を依存し、その結果生じる不幸な事態を他者のせいにするという悪循環を繰り返します。そして、彼らは常に、自分にとって都合の良い、あるいは責任を転嫁しやすい「正しい判断」を与えてくれる人物を探し続けることになります。


しかしながら、自分に常に「正しい」と都合よく判断してくれる人物など、現実には永遠に現れることはありません。なぜなら、人生における判断は、最終的には個人の責任において下されるべきものであり、その結果もまた、自身が引き受けるべきものだからです。

真の成長とは、他者に依存することなく、自らの頭で考え、自らの意志で判断を下し、その結果に対して責任を持つことによってこそ得られるものなのです。映像が提示する情報は、あくまで判断のための材料であり、最終的な判断の主体は、常に視聴者自身であるべきです。

映像は人を啓蒙する

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