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映像づくりの常識と良識

更新日:4月12日

むかしの常識・壱


例えばある企業のホームページのトップページ。

そのキービジュアルとなる大きな写真に、企業を象徴する施設の夕景を使う。たしかにカッコイイ写真なんだけど、

「成長する企業を象徴する画像として、沈む夕陽を使うとはいかがなものか?」

 


むかしの常識・弐


いよいよ全国区に進出、東京に拠点を置こうとするある企業。

その将来ビジョンを語る映像(動画)のエンディング。短いカットが連なる中に、疾走する新幹線が映る。ところがその背景をよく見ると、この列車は下り列車ではないか?!

「東京進出を図る企業の映像に、下り列車とは、いかにも都落ちではないか?」

 


いまでも常識


ある自動車関係の事業をPRする映像。

1本の映像の中の字幕に「これらのクルマは私たちの人生だ」「だが、車はしょせん機械だ」というようなテキストが入っていると、ほぼ必ず「クルマと車。どっちかに統一するべき」と指摘を受けます。

 


ことほど左様に


広告表現には様々な「常識」がたくさんありました。ところが、最近ではこうしたタブーがどんどん無視されつつあります。

映像のタブーについては「カッコよければいいじゃん」「そんな意味にとる人はいないよ!」と一蹴される今日このごろです。

コピー(広告のキャッチコピーとか、そうい文章)についても、表現が一貫していないとか、主語が入れ替わっていることを気にするよりも、パッと見ため(読んだ目?)の印象の方が尊ばれます。

 


知らないことが恥ずかしいことではなくなった


我々50過ぎにもなれば、常識としてもっている知識で瞬時に「あ、これ違ってる」と判るものも、知識が無い若い視聴者にしてみれば、そんなことどうでもいいことということでしょう。

以前までは、こうした年長者の常識知識は代々若い世代に引き継がれていったものですが、いまでは「知らないものは仕方がないよね」「べつにいいんじゃない」ということが常識になったようです。

 


広告は世に連れ


まあ、広告というのは時代を映すものだから、こういう変化も受け入れていかないといけないのだな、と思って僕も「意図的に気にしない」ようにしています。

でも、意図的にイージーにするって、これもっと疲れるんですけどね・・・・。

 


ウケてなんぼ?


僕は常識のレベル調整をクライアントの免疫力に配慮しながら、一定の良識の範囲でコントロールして、大人にも喜んでもらえるけど、若い子や一般世間にもウケる映像づくりを心がけています。 

洛陽写真
洛陽写真

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