動画・映像制作用語
【メタフィクション(メタ表現)】
metafiction
「メタフィクション(メタ表現)」とは、作品それ自体が「虚構である」という性質を意識的に示唆する表現手法を指します。
作者や作品が自身の創作の背景情報(メタデータ)について読者や観客に提示するので、この手法をメタフィクションとか「メタ表現」と言います。
通常の物語は、あたかも現実であるかのように登場人物や出来事を描写しますが、メタフィクションは、その「作り物」であることを敢えて露呈させることで、観客に多角的な視点を提供するのものです。
例えば、映画を鑑賞中、突如として登場人物がカメラに向かって話しかけたとします。これは、物語の登場人物が、私たち観客の存在を認識していることを示す、典型的なメタフィクションの手法です。
演劇ならば、役者が舞台上で観客に対し、今後の物語の展開を説明し始めるような演技・セリフです。
メタフィクションの表現形式
自己言及性
登場人物が、自らの置かれている状況を「物語の中である」と認識していたり、「作者の意図により、このような展開になっている」といった言及を行うこと。
第四の壁の破壊
映画やドラマにおいて、登場人物がカメラ目線で語りかけたり、観客に直接問いかけたりする手法。舞台と観客席を隔てる仮想の壁、「第四の壁」を意識的に取り払う行為です。
作中作(内包する物語)
作品の内部に、別の物語が挿入される構造。映画内の劇中劇や、小説内の書中書などが該当します。これにより、虚構の中に虚構が入れ子状に存在する、複雑な構造が生まれます。
作者の介入
物語の作者自身が、登場人物あるいは語り手として作品内に登場する手法。
鑑賞者の意識
作品が、鑑賞者の存在や反応を前提とした描写を含むこと。「皆様はどのように思われますか」「さぞ驚かれたことでしょう」といった語りかけが該当します。
物語の形式・構造への言及
作品内で、物語のジャンル、構成、表現方法などが議論されたり、実験的な試みがなされたりすること。
既存のフィクションの約束事の暴露とパロディ
既存の物語やジャンルにおける慣習的な設定や展開を強調したり、揶揄したりすることで、フィクションの虚構性を際立たせる手法。
登場人物の自己認識
登場人物が、自身の役割や運命が物語の筋書きによって規定されていることに気づく、といった描写。

【関連用語】
ザ・トゥルーマン・ショー (1998)
ピーター・ウィアー監督
主人公が知らないうちに自分の人生がテレビ番組になっていることを発見するという設定で、メディアと現実の関係を問いかけます。視聴者も「ショー内のショー」を見ている二重構造になっており、メタフィクションの代表例です。
8 1/2(1963年)
フェデリコ・フェリーニ監督
スランプに陥った映画監督グイドが、現実と幻想、過去の記憶と現在の混乱の間を彷徨う様を描いた作品です。映画製作の過程そのものが物語に織り込まれ、夢や回想が唐突に現れては消えるなど、映画という虚構の世界が監督の意識の中で生み出されている過程を観客に見せるような、強烈なメタ表現が特徴です。グイドの苦悩や創造の源泉が、そのまま映画のテーマとなり、映画そのものが自己言及的な構造を持っています。
アニー・ホール(1977年)
ウディ・アレン監督
コメディアンのアルビー・シンガーが、恋人アニー・ホールとの過去の恋愛を回想しながら、自身の人生や愛について考察する物語です。アルビーが観客に直接語りかけたり、過去の自分と現在の自分が会話したり、アニメーションや字幕を用いたりするなど、映画の語り口そのものを意識的に操作することで、観客に「これは作り話である」という感覚を常に与えます。第四の壁を破ることで、アルビーの個人的な回想が、普遍的な愛の探求へと昇華していきます。
マルホランド・ドライブ(2001年)
デヴィッド・リンチ監督
夢のような映像と断片的な物語が複雑に絡み合い、観客に明確な解釈を許さない、迷宮のような構造を持っています。失われた記憶を持つ女リタと、女優志望のベティ。夢のようなハリウッドで出会った二人は、謎めいた事件を追ううちに、現実と幻想が入り混じる悪夢のような世界へと迷い込む。真実はどこにあるのか?
インセプション(2010年)
クリストファー・ノーラン監督
夢という多層的な虚構構造を扱い、現実との境界線を曖昧にする点で、メタフィクション的な側面を持つと言えます。夢の中に潜入し、他者の潜在意識からアイデアを盗む「エクストラクション」という特殊な技術を軸に物語が展開しますが、その過程で夢の中の階層が深く掘り下げられ、それぞれの階層で異なるルールや時間が流れるという複雑な構造が描かれます。