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AI創作の「告知」がもたらす価値の変容と映像制作現場への影響

近年、AIを活用した音楽、映像、絵画など、いわゆる「生成系エンターテイメント」が急速に普及しています。その完成度は年々高まり、視聴者や鑑賞者が見た目・聞いた印象から、それが人間による創作なのか、AIによる生成なのかを直感的に区別することはほぼ不可能になりつつあります。


しかし興味深いのは、その「真贋の区別」が不可能であるにもかかわらず、作品がAIによって生成されたと明かされた瞬間に、鑑賞者が抱く価値評価が大きく変化するという現象です。そしてこの問題は、いまや芸術やエンターテイメントの領域だけでなく、映像制作という実務の現場にも静かに広がりつつあります。


先日、ある若い映像作家から「編集工程に生成AIを利用することをどう思うか?」と問われました。彼が手がけるのは建築映像で、竣工したばかりの建築をできる限り美しく記録することに使命感を持っているクリエーターです。しかし撮影現場では、どうしても通行人や看板、空の電線など、意図せぬ“余計なもの”が映り込んでしまう。これまでは1コマ1コマを丁寧に修正するしかありませんでしたが、今ではAIを使えば、ほぼ完璧に、そして一瞬で消せてしまう。――そのとき、果たしてクライアントに「AIを使った」と知らせるべきか? というのです。


美しいヴィラ

この問いには、二つの意味があります。ひとつは、作業の手間が劇的に減った分、従来の見積や報酬の考え方をどう変えるべきか。もうひとつは、AI利用を公表することが、作品や制作者の“信頼”や“価値”にどう影響するのかという、より根源的な倫理の問題です。


請求に関しては私なりの回答を伝えましたが、倫理観については、「私たちはクライアントのために作品をつくる以上、それを鑑る側がどう評価するかを考える必要がある」と話しました。このやりとりは、まさにAI創作をめぐる価値の転換点を象徴しているように思います。



1. 「AI作品」と告げられた瞬間に起こる心理的転換


人がある作品に感動したとき、その感動の根底には「人が表現した」という前提があります。作品を通じて感じるのは、他者の感情、苦悩、経験への共感です。しかし、AIによる創作だと知らされた瞬間、その「他者性」が消失します。作品に込められた意図や情感を“読み取る相手”が存在しなくなるのです。

このとき鑑賞者は、「これは何を伝えようとしているのか」ではなく、「これはどのような仕組みで生成されたのか」という技術的な興味へと意識を切り替えます。つまり、作品が「感じる対象」から「分析する対象」へと変わってしまうのです。



2. 「創作者」という物語の消失


芸術作品には、必ず「誰がつくったのか」という物語が伴います。たとえ無名であっても、作家の背景や思想、時代の空気が作品に“深み”を与えます。しかしAIが関わると、その中心に「作者」が存在しないため、鑑賞者は共感や想像の“導線”を失います。

AIを用いたことを公表する行為は、技術的な透明性を担保する一方で、作品が持つ「人間的文脈」を切り離す行為でもあります。その結果、鑑賞体験は知的には興味深くても、情感的な充足を欠くものになりやすいのです。



3. 「告知」が作品の本質的価値を減ずる理由


芸術の本質的な価値は、鑑賞者が作品を通じて“自分の中に他者を感じること”にあります。AIの関与を明示することで、その“他者性”が見えなくなり、感情的な同調を避ける傾向が生まれます。言い換えれば、AIという「非人格的な存在」を知覚した瞬間、感情の回路が遮断されるのです。

人は他者の痕跡を読み取るときに感動し、その不完全さや矛盾にこそ「人間らしさ」を感じます。どれほど完璧な生成物であっても、その背後に人間の呼吸が感じられなければ、“作品”としての重みは得にくいのです。



4. 結論──透明性と体験価値のジレンマ


AIを用いた制作を公表することは、倫理的には正しい選択です。しかし、その透明性が作品を「感じる対象」から「技術の成果物」へと転換させてしまうという逆説を生みます。

つまり、AI創作には次のような構造的ジレンマが存在します。

  • 技術的正直さ(透明性)

  • 芸術的価値(感情的共感)

この二つが、必ずしも両立しないということです。


今後のエンターテイメントやアートの世界では、AIを使うかどうか以上に、「AIであることをどう伝えるか」が、作品の意味や評価を左右する重要な要素になるかも知れません。


そして、もうひとつ見過ごせないのは、こうした議論がすでに現場の誠実な努力を脅かしはじめているという事実です。

カメラマンやスタッフが、汗を流して時間と技術を尽くし、ようやく掴み取った一瞬の美しさであっても、あまりに映像が整いすぎていると、「AIで処理したのではないか」と疑念を向けられる。その瞬間、作品だけでなく、そこに懸けられた人間の労苦までもが軽んじられてしまうのです。

AIが創作の可能性を広げる一方で、人の努力を疑う視線を生み出してしまう――そこに、私たちが真に向き合うべき次の課題があるのかも知れません。

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【執筆者プロフィール】

株式会社SynApps 代表取締役/プロデューサー。名古屋を中心に、地域企業や団体のBtoB分野の映像制作を専門とする。プロデューサー/シナリオライターとして35年、ディレクター/エディターとして20年の実績を持つ。(2025年11月現在)

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