ほんとうに役にたつメディアリテラシー教育とは
- Tomizo Jinno
- 10月7日
- 読了時間: 8分
はじめに
メディアリテラシーの重要性が叫ばれて久しく、現代において正しい情報を見極める能力は必要不可欠だと考えられています。しかし、従来のメディアリテラシー教育には大きな限界があります。そして、生成AIの登場により、その限界はさらに複雑化しています。
メディアリテラシー教育の限界
従来のメディアリテラシー教育は、主に以下のようなアプローチを取ってきました:
情報源の信頼性を確認する
複数の情報源を比較する
客観的な状況証拠を探す
仮説を立てて検証する
これらの方法は合理的に見えます。しかし、ここには大きな見落としがあります。それは、これらの方法が結局のところ「推論」に過ぎないということです。
私たちは、メディアが伝える情報に対して、様々な角度から検証を試みます。しかし、その検証プロセス自体が、私たちの限られた知識や経験に基づいています。つまり、我々は知らないことについて、知っていることを基に推測しているに過ぎないのです。この方法では、「知らないこと」を真に「知ったこと」にはなりません。なぜなら、我々の推論は常に不完全で、バイアスに満ちているからです。

生成AIがもたらした新たな混乱
2020年代に入り、生成AIが検索エンジンに統合されたことで、状況はさらに複雑化しました。従来、私たちは検索エンジンを使って「情報源にアクセスする」ことができました。しかし、生成AIが検索結果を「解釈」し、「要約」し、「再構成」するようになった今、私たちは次のような新しい問題に直面しています。
AIリテラシーによるメディアリテラシーの不能化
生成AIの登場は、従来のメディアリテラシーの枠組みを根本から揺るがしています。
情報源の不透明化
AIが生成した回答は、複数の情報源を混ぜ合わせたものです。どの部分がどの情報源から来ているのか、ユーザーには判別が困難です。「情報源の信頼性を確認する」という基本的なリテラシーが機能しなくなります。
検証可能性の喪失
生成AIは、存在しない情報源を「幻覚」として示すことがあります。さらに深刻なのは、AIが情報を「解釈」する過程で、元の文脈が失われ、意味が変質することです。「複数の情報源を比較する」ことが実質的に不可能になります。
リテラシーの多層化と混乱
私たちは今、以下の複数のリテラシーを同時に要求されています:
従来のメディアリテラシー(情報源の真偽判断)
デジタルリテラシー(検索技術の理解)
AIリテラシー(生成AIの仕組みと限界の理解)
これらが複雑に絡み合い、一般の人々のリテラシーを混乱させています。
権威の転移
検索エンジンは「道案内」でしたが、生成AIは「回答者」として振る舞います。人々は、AIの回答を検証すべき「素材」ではなく、信頼すべき「答え」として受け取るようになります。これは、批判的思考を放棄させる危険性を持ちます。
リテラシーの不能化のメカニズム
最も深刻な問題は、生成AIが人間のリテラシーそのものを「不能化」することです。
推論の外部化
AIが即座に「答え」を提示することで、人々は自分で考え、推論するプロセスを省略するようになります。
経験の代替
Iが様々な分野について「知っているかのように」語ることで、実際の経験や深い学習の必要性が軽視されます。
判断基準の喪失
何が「正しい情報」なのかを判断する基準そのものが、AIの出力に依存するようになります。これは循環論理の罠です。
生成AIは、私たちに「知った気」にさせることで、真に「知る」ことへの努力を奪います。そして、従来のメディアリテラシー教育が教える検証手法は、AIが生成する情報の前では無力です。なぜなら、検証のために使う検索エンジン自体がAIに置き換わっているからです。
「知っている」ことこそが最強のメディアリテラシー
真のメディアリテラシーについて考えてみましょう。最も確実な情報判断の方法は何でしょうか。それは、その事柄について直接的な知識や経験を持っていることです。
例えば、ある国の文化について報道されたニュースがあったとします。その国に住んだことがある人、あるいはその文化を深く学んだ人は、そのニュースの真偽や妥当性を即座に判断できるでしょう。なぜなら、彼らは「知っている」からです。これは、AIが生成した文化についての「もっともらしい説明」に対しても同様です。実際にその文化を経験した人だけが、AIの出力が表面的で誤っているかを見抜けます。
「知っている」ことは、以下のような力を持ちます。
即時の判断力:情報の真偽を瞬時に見抜くことができる
文脈の理解:背景にある複雑な要因を理解できる
誤情報への耐性:間違った情報に惑わされにくい
深い洞察:表面的な情報を超えた本質を見抜ける
AI出力の評価能力:生成AIの回答が表面的か深いか、正確か不正確かを判断できる
つまり、「知っている」ことこそが、最強のメディアリテラシーです。そして、AIが普及した時代においては、これがますます重要になっています。
社会勉強と社会経験、職場経験の重要性
どうすれば「知っている」状態に近づけるでしょうか。答えは簡単です。もっと学び、もっと経験することです。社会勉強と社会経験、職業経験は、真のメディアリテラシーを獲得するための最も有効な方法です。
多様な分野の学習
歴史、政治、経済、文化など幅広い分野を学ぶ
専門書だけでなく、一般書や新書なども活用する
実際の社会経験
様々な職業体験やインターンシップに参加する
ボランティア活動や地域活動に積極的に関わる
多様な人々との交流
異なる背景を持つ人々と対話の機会を持つ
国際交流イベントや文化交流プログラムに参加する
メディア制作の体験
ブログやSNSでの情報発信を実践する
学校や地域のメディア制作プロジェクトに参加する
旅行や留学
国内外の様々な地域を訪れ、直接体験を積む
可能であれば長期の留学や海外勤務を経験する
さまざまな仕事、職場を経験する
いわゆる上流から下流までの職場を経験する
職場内のさまざまなポジションを経験する
それらの職業で働くことが、社会からどのように扱われるかを経験する
これらの活動を通じて、私たちは「知っている」ことの範囲を広げていくことができます。そして、この「知っている」という基盤が、真のメディアリテラシーを支えるのです。
私は「6.」が一番重要だと思っています。
真のメディアリテラシーを目指して
メディアリテラシーは、単なる情報の真偽判断スキルではありません。それは、世界を理解し、複雑な現実を把握する能力です。そして、その能力の核心にあるのは、「知っている」という確かな基盤なのです。
動画を見た、映像を見ただけで知ったことにはなりません
動画制作、映像制作を生業にする私が言うのも気が引けますが、動画を見た、映像を見た、では知ったことにはなりません。これは、AIが生成した文章を読むことについても同様です。AIは、あらゆるテーマについて流暢に語ることができます。しかし、AIの言葉は経験に裏打ちされていません。それは、膨大なデータから抽出されたパターンに過ぎないのです。
必要なのは、私たちの経験です。経験といっても、単に「そこにいた」「それを見た」という経験ではなく、そこで悩み、挑戦し、突破した経験です。そうして学び続け、経験を積み重ねていくことで、より確かな判断力と洞察力を持つことができます。そしてそれこそが、複雑化する世界を生き抜くための最強の武器となります。
情報があふれる現代社会において、そしてAIが人間のように語る時代において、「知っている」ことの価値は計り知れません。なぜなら、「知っている」ことだけが、AIの出力を評価し、メディアの情報を判断し、自分自身の頭で考える基盤となるからです。
身も蓋もありませんが
経験を積み重ねる——メディアリテラシーを高めるにはこれしかありません。
生成AIがどれほど発達しても、検索エンジンがどれほど賢くなっても、代替できないものがあります。それは、あなた自身の経験です。AIは経験を「説明」できますが、「経験する」ことはできません。そして、説明と経験の間には、決定的な差があるのです。
映像制作者としての責任と希望
この悲観的な状況にあっても、私は社会を幸せにする映像制作者でありたいと願っています。
映像は、確かに経験の代わりにはなりません。しかし、だからこそ映像制作者には重要な役割があると考えています。それは、視聴者が正確にリテラシーを働かせることができるコンテンツをつくることです。
私の仕事は、企業から請け負って映像コンテンツを制作することです。商業的な制約の中で、クライアントの要望に応えなければなりません。しかし、たとえ「請け負い」であっても、制作する映像においては次のことを心がけたいと思っています。
視聴者を「知った気」にさせない誠実さ
情報源と制作意図の透明性
視聴者自身の経験や思考を促す余白
複雑な現実を安易に単純化しない姿勢
視聴者のリテラシーを尊重し、信頼する態度
映像は経験に勝てません。しかし、映像は経験への入り口になることができます。視聴者に「もっと知りたい」「自分で経験したい」と思わせることができれば、それは社会を幸せにする一歩になるはずです。
メディアリテラシーの正しい理解を広く社会に伝えること。これは、映像制作者としての私の使命だと考えています。生成AIが社会に浸透し、情報環境が混乱する時代だからこそ、「経験すること」「知ること」の価値を、映像を通じて伝え続けたいのです。
【執筆者プロフィール】
株式会社SynApps 代表取締役/プロデューサー。名古屋を中心に、地域企業や団体のBtoB分野の映像制作を専門とする。プロデューサー/シナリオライターとして35年、ディレクター/エディターとして20年の実績を持つ。
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