映像に入れる声や音楽のレベルのこと
- Tomizo Jinno

- 3月22日
- 読了時間: 3分
音を操る人は、感情を操る人
──しかし、それは感傷ではなく設計の仕事である
「音を操る人は、感情を操る人だ」──この言葉はよく引用されますが、情緒的に消費されることも多いです。ですが実際の現場では、感覚だけでミキサーを触っている人はほとんどいません。そこには明確な意図と、かなり論理的な設計があります。音声の演出は、“感情の演奏”ではなく、“感情の設計”です。
かつてのアナログ時代、フェーダーを指先でコントロールしながら、音楽や声の入り所を探っていたのは事実です。しかし重要なのは「アナログだったこと」ではなく、「音の役割を理解していたこと」です。音は情報ではなく、場の“認知”を操作するメディアだという認識が、当時の現場には確かにありました。

たとえば同じナレーションでも、声が画面の手前に存在するのか、奥に存在するのかによって、視聴者の視線は変わります。音楽が大きいか小さいかより、声との位置関係のほうが、感情への影響は大きいのです。つまり、音量の上下は「感情の上下」ではなく「距離の設計」です。これは心理音響学に基づく、れっきとした演出技法です。
ところが現在、映像制作の現場では、音はかなり“フラット”に扱われがちです。一定の音量で、BGMは常に背景に、声は常に明瞭で、効果音は必要最低限。視聴者は、何も意識せず内容を理解できます。ただしこれは、情報が届いているだけで、感情が動いているとは限りません。
YouTubeやショート動画では、すべての音が“手前にある”と言っていいくらい、前に出ています。衝撃音も大きめ、ナレーションは強く、BGMも遠慮しない。これは視聴環境(スマホ・イヤホン・雑音の多い場所)に適応した結果であり、合理的な判断でもあります。けれどこの環境に最適化するほど、“奥行き”という表現は失われます。
つまり、現在の音声表現が抱える課題は「音が単純に大きいか小さいか」ではなく、「音像がどの空間で、どの位置に存在しているか」に対して意識が薄れていることです。音は本来、場の空気、人の感情、そして視線の行き先を設計するためのメディアです。だからこそ、音を操る人は、感情を操る人であると言えるのです。ただしそれは、感傷的な意味ではなく、構造的・設計的な意味で。
今、音声の仕事に必要なのは、「昔のやり方に戻ること」ではありません。むしろ、デジタル技術を使いながら、人間の認知や感情の“構造”を理解したうえで音を設計できる人です。音響心理学、知覚科学、UXデザイン、メディア論──これらと音声制作の領域は確実に近づいています。
音の役割は、これから拡張します。減るのではありません。なぜなら、人は映像よりも音に感情を揺さぶられやすく、音をきっかけに記憶を呼び起こす生き物だからです。
音を操る人は、過去の技術者ではなく、これからの体験デザイナーです。そしてその仕事は、もっと論理的で、もっと創造的になっています。
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【執筆者プロフィール】
株式会社SynApps 代表取締役/プロデューサー。名古屋を中心に、地域企業や団体のBtoB分野の映像制作を専門とする。プロデューサー/シナリオライターとして35年、ディレクター/エディターとして20年の実績を持つ。




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