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常識を上書き保存するインターネット×生成AI

最近、最も驚いたのは「カット編集とは?」とネットで検索すると、ほぼ100%が「カット編集とは、動画素材の中から不要な部分を削除し、必要なシーンをつなぎ合わせる編集方法です。」という解説であることに気づいたことです。


「編集の基本はカット編集だ!」


20世紀から映像制作に携わって、演出か編集をしてきた人ならば、先輩からこの教えを受けてきたものと思います。勘違いしないでいただきたいのは、この場合のカット編集とは「ディゾルブワイプといったトランジションを介さずに、カットとカットを直接接続する映像編集」のことです。


テープ編集時代のオフライン編集機材では、A/Bロールを「カットつなぎ」することしかできませんでした。つまり「カット編集だけしかできない」ものでした。しかし、この仮編集状態で映像の流れは問題なく表現できているべきで、トランジションやエフェクトをかけないと成立しないカット割りは未熟だ、と言われていたのです。


つまりカット編集とは、「カット割り」の技能とセットになった作業概念であり、単なる編集ソフトの操作法とか、素材のトリミング法ではなかったのです。



原因・ノンリニア編集ソフト操作方法解説文書からの定着


Adobe Premiere Proのチュートリアルに「カット編集の方法」という項目があるのは当たり前ですし、この場合が指しているのが、クリップの切り取り方であることに違和感はありません。



生まれて初めて使った映像編集ソフトの指南書に「カット編集とは、不要部分を削除すること」とあれば、カット編集という言葉の理解が、これで定着するのも当然でしょう。



WEB上がこの解釈一色


言葉の解釈が流転することは私も同意しています。カット編集の定義を元に戻せなどと、やぼなことは言いません。でも、思うのです。


私よりひとまわり下の世代でも、プロダクションに所属したことがある人なら、カット編集の意味に「カットつなぎだけでやる編集」という解釈があることは知っていると思います。まだそう考えている人も沢山いるものと思います。

ただ、そのことがまったくWEB世界には出てこない。当然、生成AIも頑として「不要な部分を削除すること」という説を曲げません。

この状況を目の当たりにする今、世界中の様々な社会で、言葉の定義や概念の理解が急速に生成AIに支配され、変化しているのではないのか?


知らぬ間に常識が上書きされて変容している・・・。

疑心暗鬼な今日この頃です。

カット編集



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