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メディアリテラシーを育てる映像制作経験

更新日:3 日前

拡大し続けるメディアリテラシーの意味


かつてメディアリテラシーとは、新聞やテレビ報道を読み解き、情報を批判的に受け取る力を指していました。しかし、インターネットとSNSが社会基盤となった現在、その意味は大きく拡張しています。私たちはもはや「情報の受け手」にとどまらず、意図せずとも情報の発信者、あるいは拡散者としてメディア空間に参加しています。

この状況において求められるのは、「どう読むか」だけではなく、「どう発信するか」「どう関与しないか」を含めた総合的なリテラシー意識です。情報を出す立場に立ったときの責任感や想像力こそが、現代のメディアリテラシーの中核になりつつあります。



フェイクは否定しても拡がっていく現実


フェイクニュースは否定されれば消える、という考えはもはや成り立ちません。実際には、「これはフェイクだ」という書き込みや、怒りや悲しみのリアクションそのものが、アルゴリズムによって拡散を後押ししてしまう構造があります。

現在のSNSでは、シェアだけでなく、あらゆる反応が「注目」としてカウントされます。善意のつもりの否定や批判であっても、結果的にフェイク情報の寿命を延ばし、到達範囲を広げてしまう。この仕組みを理解していないこと自体が、すでにリテラシーの欠如だと言えるでしょう。



「スルースキル」という言葉の誤解


近年、「スルースキル」という言葉が使われることがあります。しかし、それは単なる我慢や諦めを意味するものではありません。本来のスルーとは、「反応しないことで被害を拡大させない」という、極めて能動的で倫理的な判断です。

事実に基づく批判や議論は社会に必要です。しかし、事実を歪めた情報や、根拠のない見出しを前提にした論争には、何の生産性もありません。それどころか、内容によっては名誉毀損や業務妨害といった犯罪行為に直結します。誰かを傷つける情報に反応しないことは、逃げではなく責任ある態度です。



メディアに関わる職業人の責任


映像制作者や広告に携わる人間は、メディアの仕組みや拡散のメカニズム、そして人の感情がどのように動かされるかを職業的に理解しています。だからこそ、その知識や技能を悪用することは許されません。

しかし現実には、メディアに生きる職業人自身が、世界観や影響力への自覚を欠いたまま情報を発信している場面も少なくありません。「知らなかった」「誤解していた」という言い訳で済む問題ではないのです。フェイク情報の創作や拡散は、対象となった個人だけでなく、社会全体を欺き、傷つけます。これは職業倫理以前に、人としての問題です。



映像が作られる工程を知ることの意味


ここで重要になるのが、「映像がどのように作られるか」を知る経験です。映像制作は、単なる撮影や編集の作業ではありません。どの情報を選び、どの順番で配置し、何を見せ、何を見せないかという判断の積み重ねです。そこには必ず意図があり、視点があり、制作者の価値観が反映されます。

映像制作を経験すると、完成された映像を「中立な事実」として受け取れなくなります。カメラの位置、カットの選択、音楽の使い方、編集のリズムが、どのように意味や感情を誘導しているのかが見えてくるからです。これは批判的思考力そのものです。



制作経験が育てる本当のメディアリテラシー


映像制作経験は、情報生成のプロセスへの理解を深め、表現の影響力と危うさを身体感覚として学ばせます。同時に、自分の表現が誰かにどう届くのかを想像する力、つまり倫理的想像力を育てます。

情報過多の時代において必要なのは、単なる知識やテクニックではありません。作る側の視点を知り、発信することの重さを理解し、関与しないという選択を含めて判断できる力です。映像制作という行為は、そのすべてを一度に学ばせてくれる、極めて実践的なメディアリテラシー教育だと言えるでしょう。


映像が作られる工程を知ることがリテラシーを育てる
謝って済む問題ではありません

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【執筆者プロフィール】

株式会社SynApps 代表取締役/プロデューサー。名古屋を中心に、地域企業や団体のBtoB分野の映像制作を専門とする。プロデューサー/シナリオライターとして35年、ディレクター/エディターとして20年の実績を持つ。

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