

筋を通す仕事プロデューサー
「筋を通す人」とは、常に一貫した人格と価値観を維持し、様々な状況下でも首尾一貫した判断や行動を取る人間性を持った人のこと。映像プロデューサーは、この筋を通す人であることを基本姿勢とする職務です。


真田広之プロデュースドラマ「SHOGUN 将軍」が教えてくれること
これまで商業活動としての映像制作ではこうした「誇張やすり替えは常套手段である」と容認されてきましたが、インターネットによるグローバルな情報交流が常識化した今、そうした国際間の「誤認容認」時代は終わりを迎えようとしているようです。


映像編集技法は学問にになり得るのか
映像編集の技術を学ぶ上で、まず突き当たる壁となるのが、用語の曖昧性です。様々な定義が存在し、人によって解釈が異なることがよくあります。この曖昧さは、映像編集技法がまだ体系化されておらず、人々の感覚や経験に基づいて独自に発展してきた歴史があります。


コンプライアンス問題を映像で学習する
こうしたコンプライアンスに関する課題を全社、組織の末端まで共有するために映像を使う企業が増えています。これらすべてを一度の学習することは無理ですので、テーマ別に分けて定期的に視聴するような体制作りが大切です。


「陳腐化」時代の流れと映像制作の課題
「計画的陳腐化」。これは、製品の寿命を意図的に短くする仕組みを製造段階で組み込んだり、新製品の発売に合わせて旧製品を時代遅れに見せかけたりすることで、消費者の新製品購入意欲を高めるマーケティング手法を指します。


縦撮りでも横保存できたら!?
映像の仕事を10年以上やってる人なら動画は横撮りが普通で縦撮りは特別なことと思っているんじゃないでしょうか、たぶん。だからプライベートな時でもスマホで動画を撮ろうとする時は、自然と横持ちで撮っていると思います、たぶん。しらんけど。


映像vs.動画論議に終止符を
結局のところ、この議論は業界の慣習や個人の好みを反映しているだけで、この用語の違いにこだわるのは、旧来の「映像業界」の人が、新興の「動画業界」との立ち位置の違いを明確にすることで、自らの、何らかの優位性を誇示するもののように思います。


「報道パン」を知っていますか?
新聞記者が突撃取材の張り込み時に食べる調理パンのこと、ではありません。テレビニュースの報道ビデオカメラマンが、取材先の「状況」と「事件現場」を1カットで短時間で見せるために開発された(?)パンニング法です。たぶん。


キャスティングオフィスと映像制作会社
自分が知っている範囲で出演者を探すのはあまりに安易ですし、知らない人を起用するのは不安なことばかりです。そこで、私たち映像制作会社はキャスティングオフィスに依頼して、企画や条件に適したタレントを推挙してもらいます。


ロケ現場におけるモデルの立場
スタイリストさんやヘアメイクさんたちが、モデルさんとキャッキャと明るくおしゃべりしている、という状況をよく目にすると思います。ADさん、プロダクションマネージャーさん「君らは気楽でいいな」なんて思っていませんか?あれはスタイリストさんたちの抗議なんですよ、実は。


忍び寄るものを予感させる演出とカメラワーク、カット割り
こうした演出の多くがカメラワークとカット割りによって操作されているものだということは、たぶん多くの視聴者が理解していると思います。実はこの「忍び寄るものがある」を演出するカメラワークやカット割法は意外にもバリエーションが数多くあります。


どうしてボケが好まれるのか
私たちが制作する企業PR映像や採用動画でも多用する傾向が出てきました。どうして人々はこのボケみを好むのでしょうか?私は個人的には、シナリオ力や構成力の低下を補っている面もあるように感じています。


撮影時のカメラマンとディレクター
撮影現場でのディレクターには大別して2つのタイプがあります。カメラマンにいちいちレンズで切り取る対象とフレーム(構図)を指示して、カメラ位置も指定して、カット割りをカメラマンに伝えるタイプと、そこで収録したい映像の意図だけ伝え、カット割りもカメラマンにお任せにしてしまうタイプです


感じが悪いプロデューサーにならないために
映像制作会社のプロデューサーは、クライアントとの共通認識形成に努めますが、言葉の多様な解釈により認識齟齬が生じがちです。安易な質問は相手の印象を損ねるため、積極的傾聴や具体例の要求、ビジュアル資料活用が重要です。名古屋で映像制作を手がける私たちは、良好な関係維持と正確な情報共有のバランスを重視しています。


会社案内ビデオの変容
会社案内を映像で制作することはむしろ需要は高まっているように感じます。ただ、それを観る場所と媒体が替わり、視聴シチュエーションは「個人的」に「ひとり」で「パソコン」で観るものになりました。


E.E.A.T.がもたらす情報の偏り:ブログの声はなぜ届かないのか
「ブログ」のような個人の発信源に権威がないことは事実です。しかし、だからこそ、多様な意見が自由に発信され、相互に補完し合うことで、より客観的で多角的な情報が得られるはずです。Googleのアルゴリズムが、このような多様な声を排除し、特定の視点に偏った情報を優先することで、情報の透明性が損なわれ、社会全体の健全な議論を阻害する可能性があります。


あざむく動画はなぜ悪いのか
人はエンターテイメントやフィクションという定義をし てしまえば、虚構の映像を許容しますが、ノンフィクション、ドキュメンタリーと定義して視る映像に嘘が混入しているとは考えません。 これは映像制作者の信義を問う課題です。





