漫画のコマ割りと映像のカット割りは何が違うのか?
- Tomizo Jinno

- 1 日前
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Ⅰ. シークエンシャルアートと映像編集の接点
1.1. 記事のテーマ
視覚メディアにおけるナラティブ(物語)の伝達は、時間と空間の連続的な流れを、いかに効果的に断片化し、再構成するかという操作技術によって行われます。ここでは、中でも代表的な視覚メディア、静止画の連続である漫画の「コマ割り」と、動画の連続である映像作品の「カット割り」について、その構造と機能が、読者・視聴者の認知構造に与える影響を考察します。
特にメディア構造の単純性・複雑性によって、ナラティブの解釈の豊かさ(巾)が、いかに規定されるかという問いに焦点を当てます。
「コマ割り」と「カット割り」は、ともに制作初期段階における時空間設計の行為ですが、完成形において、前者は構造が可視的に残り、後者は不可視化される——この差異こそが、読者・視聴者の認知体験を決定的に分岐させる要因となります。
1.2. コマ割りとカット割りの概念
コマ割り
漫画における個々の静止画フレームの配置とページ全体設計の行為を指します。空間的配置を通じて時間経過と視線誘導を制御します。
カット割り

Ⅱ. 漫画のコマ割り
読者主導の連続性の構築と構造的制約
2.1. コマ割りの機能と視覚的連続性
漫画のコマ割りは、読者の視線を誘導し、読書テンポを制御する設計技法です。一般的に、右から左、上から下へと進む「Z」字型の視線誘導ルールが基本とされます。コマの大小や変形は、感情的な強調や時間経過のメリハリをつけるために利用されます。ページ冒頭の大きなコマは多くの場合、そこから始まるシーケンスの状況を定義する画像で、映像のカット割りにおける「エスタブリッシュショット」と同じ性格を持ちます。
2.2. 「ガター(溝)」の理論
スコット・マクラウドが提唱するガター(Gutter)は、コマ間の物理的空白のことを指し、読者に能動的な思考を強制する空間だとしています。読者はガターを飛び越える際、省略された動作や時間経過を想像力によって補完します。これにより、漫画の連続性は、作者の誘導と読者の能動的な補完作業によって成立する概念的な連続性となります。
2.3. ナラティブの「単一指向性」の原因
漫画が読者の想像力に依存するにもかかわらず、そのナラティブは単一指向的に見えます。その原因は、その構造的制約にあると考えられます。
情報の「省略」による想像力の限定:
ガターは情報の欠損を埋めさせますが、その想像力は前後コマの静止画という強固な視覚的記号によって強く方向付けられます。読者の想像は、作者が描いた「省略された次の行動」を補完する方向に集中しやすく、解釈の多様性よりも物語の因果律の完成を優先する傾向が強くなるためです。
聴覚情報・運動性の欠如:
感情や状況は、視覚的な表情と文字(フキダシ)という象徴的表現に依存します。映像の持つ音響(音楽、効果音)や生身の俳優の微細な運動性・間合いといった多層的な非言語情報が存在しないため、読者は感情を「自分本位に理解」するしかなく、解釈の幅が生まれにくいのです。
Ⅲ. 映像のカット割り
作者主導の制御と多層的な情報
3.1. カット割りの目的とコンティニュイティ(連続性)
映像におけるカット割りは、ショットの選択と接続を通じて、時間的・空間的な連続性を構築する編集作業です。厳格に守られるコンティニュイティ(連続性)は、視聴者に「記録された現実」という錯覚を与え、知覚的連続性を維持するために不可欠です。編集者はカットの長さや繋ぎ方を調整することで、テンポ、緊張感、感情の高まりを精密に制御します。
3.2. 時間制御権の所在:編集者主導のリアルタイム性
映像は時間軸に沿って一定の速度で進行し、視聴者はその流れを変えることが原則としてできません。編集者はこの特性を利用し、サスペンスや感情的高揚を強制的に伝達します。視聴者は外部から与えられる刺激に強く依存し、体験は受け身となります。
3.3. ナラティブの「幅」の原因
映像が作者(編集者)主導であるにもかかわらず、映像作品がナラティブが豊かで視聴者の想像力に委ねられる(解釈の幅が大きい)と感じられる原因は、その多層的な情報の構造と解釈の余地にあると考えられます。

情報の過剰性(多層性):
映像は、視覚情報(構図、光陰、色彩、動き)、聴覚情報(台詞、ナレーション、音楽、効果音)、俳優の演技(間合い、微細な表情)という複数の情報チャンネルを同時に提示します。この情報の過剰な複雑性により、視聴者は無意識的にどこに注目するかを選別することになり、解釈の経路が多様化します。
例:俳優の微かな表情は不安を示しているが、背景の音楽は穏やかである場合、視聴者は「矛盾」から多様な解釈(欺瞞、平静を装う、など)を引き出します。
空間の開放性(オフスクリーン):
映像のフレームは、多くの場合、カメラの外側にも物語の世界が連続していることを示唆するオフスクリーン空間を含みます。この空間的な開放性は、漫画の閉じたコマ構造とは対照的であり、次に何が起こるか、画面外に何があるかという「見えていないもの」への想像力を強く喚起します。
非連続的な操作の利用(モンタージュ):
意図的にコンティニュイティを崩すモンタージュ手法は、対立するショットの衝突を通じて、感情的、あるいは思想的な対立や強い刺激を生み出し、観客の頭の中に新たな概念的な意味を強制的に構築させます。これは、視聴者に「論理的な飛躍」を強いることで、一つのカットでは表現できない多義性をもたらします。
Ⅳ. 比較分析:メディア構造と認知体験の差異
4.1. 空間と時間の操作原理の対比
要素 | 漫画のコマ割り (Panelling) | 映像のカット割り (Cutting) |
連続性の性質 | 概念的連続性:ガターで成立する想像力による補完 | 知覚的連続性:コンティニュイティによる矛盾なき物理的接続 |
時間の制御対象 | 読者が視線を移動させる空間的時間(可変的) | 編集によって固定される物理的持続時間 (強制的) |
空間の特性 | 閉鎖的:コマの境界線内で完結。象徴的空間。 | 開放的:フレーミング。オフスクリーン空間を意識させる。 |
ナラティブの豊かさ | 単一指向的になりやすい(情報の省略と記号の強さによる) | 多義的になりやすい(多層的な情報と空間の開放性による) |
没入体験 | 自発的没入(高認知負荷):時間をかけて内面化 | 強制された没入(低認知負荷):感覚的な刺激で即時的に引き込まれる |
4.2. 構造が規定する認知と体験
漫画は、ガターによる「情報欠損」と、コマの「空間的な閉鎖性」によって、読者の想像力を線形的な物語の補完に集中させやすい傾向があります。なによりもページを開いた瞬間に、そのページで語られるすべてのコマが一覧で目に入ってしまうことが、この性向を決定づけます。これにより、作者との「共犯関係」が成立する一方で、解釈の幅は限定され、物語は単一の方向性を持つ傾向が強くなります。
一方、映像は、「多層的な情報(音響、微細な動き)」の同時提示と「空間の開放性」によって、視聴覚的な刺激を最大化しつつ、解釈の分岐点を多数生み出します。なによりも漫画とは異なり、視聴者は流れ来る映像のどの瞬間でも、次の瞬間が現れるまで、次の展開を確信できません。編集者にテンポを制御される受動的な体験でありながら、情報過剰性ゆえに解釈の能動性(意味の構築)を高いレベルで保持することができるのです。
Ⅴ. 結論:視覚メディアの未来と相互作用性
5.1. 根本的な差異の再確認
漫画のコマ割り技術は、空間デザインを通じて読者のテンポを誘導する概念的連続性を追求し、読者との能動的な「共同作業」を成立させます。一方、映像のカット割り技術は、物理的持続時間の編集を通じてテンポを強制的に制御する知覚的連続性を追求し、作者(編集者)による精密な操作に基づいています。
5.2. デジタル時代における構造の変容
縦スクロール形式のWebtoonは、コマ割りによる読書テンポの制御方法が空間的な配置から画面のスクロールという動的な時間的行為へと移行した例です。これにより、漫画は、より映像的な「時間デザイン」の要素を取り込み、読者制御権の構造に変化が生じつつあります。
5.3. 構造が決定する認知体験
コマ割りが生み出すのは、線形的補完に集中した「内面化された、自発的な没入体験」であり、読者の記憶に深く定着しやすい体験です。対照的に、カット割りが生み出すのは、多層的な情報と空間の開放性による「多義的な解釈を許容する、即時的な強制された没入体験」です。
ナラティブの豊かさは、単に「情報を省略しているかどうか」ではなく、「情報が提示されるチャンネルの多層性」と「表現されている空間の開放性」というメディアの構造によって規定されると考えられます。
【執筆者プロフィール】
株式会社SynApps 代表取締役/プロデューサー。名古屋を中心に、地域企業や団体のBtoB分野の映像制作を専門とする。プロデューサー/シナリオライターとして35年、ディレクター/エディターとして20年の実績を持つ。(2025年12月現在)




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